6月の月例会
(2002年)




 平年だと今日は梅雨入りの平均日だといわれている日にも係わらず、今朝はカラリと晴れ渡り空気も前日より湿気のないサラサラとした気持のいい陽気だったが、北寄りの風が時より10メートルぐらいの強風が午後になっても吹くという悪条件だった。
 首都高速が常磐道となる三郷インターの辺りは、特に風には弱い、それまで両側に高い防音壁が張り巡らされている首都高速は、ハンドルも取られることもなくスムーズに運転できるが、一度インターに掛ると反対側に押し出され、ヒヤッとさせられる怖い所だ。
 常磐道では、料金所を過ぎると江戸川に架る橋の上や流山インターから柏インターの間のトンネルの出入口と利根川に架る橋の上は特に注意が肝心、ドライバーは多勢の仲間をを乗せているので、いつも細心の注意を払って安全運転に徹して頂いているお陰でこの10年間無事故でゴルフ場への送り迎えには感謝感謝で一杯です。

下妻ミニゴルフクラブ

連絡先 304−0031
下妻市大字高道祖柏山309−1
(TEL)0296−43−7330
(FAX) 0296−43−7330
(予約専用))0296−43−7300
予約 (平日申込到着順 (土日祝申込)到着順
交通 JR常磐線・取手駅から関東鉄道常総線乗り換え下妻駅下車、タクシーで7分。
常磐自動車道・谷和原I・Cより30分
コース (hole)13(yard)1442(par))38
料金 (平日)4200(土曜)6300(日祝日))6300
(クレジット)無 (クラブ) 200 (パター) ・ (アイアン) ・(ウッド) ・(ハーフ) ・ (セット)
・(
) 200 (バック) ・ () ・(セルフカート) -・(ロッカー)・ (タオルセット)。
(シャワー) ・(カメラ) -
備考 女性は1000円引き

 



下妻市

位置・面積・人口(2002年5月1日現在)

緯度・北緯36度18分11秒 経度・東経139度96分86秒
標高・23.40m 面積・61.05ku
世帯数・11,700戸(+75戸) 人口密度・609.6人
人口37,214人(+44人)・男18,603人(+24人)・女18,611人(+20人)


 下妻市は茨城県の西部、鬼怒川東岸に位置している。市内には西部地域に砂沼が広がり、東部地域には小貝川が南流している。また、かつては鳥羽之淡海と呼ばれた湿地帯や大宝沼などがあり、古くから水の恩恵を受け、ゆたかな文化が花開いた。
 下妻の原始を物語る遺跡の多くは、川や湖沼に臨む台地縁辺部にあり、特に縄文中・後期の遺跡が多い。鬼怒川沿いには江相ノ田・渋井・中居指、旧大宝沼周辺に弥平太・北大宝相ノ田、小貝川周辺には桜塚などの各遺跡があり、縄文文化の一端を垣間見ることができる。一方、弥生・古墳時代の遺跡数は少ないが、大木田向遺跡、浅間塚古墳(市指定史跡)などが知られている。また、大宝沼から古墳時代後期のものと推定される丸木舟(県指定文化財)が出土している。
 古代の下妻地方は常陸・下総両国の国境に位置し、市域の中心部から北は常陸国新治郡、東部の高道祖地区は筑波郡、南部は下総国豊田郡に属していた。平安時代中頃に起こった平将門の乱では下妻市域も戦乱に巻き込まれ、将門の敵対者源護一族の陣営と比定される大串が将門に焼き払われている。
 中世の下妻はまさに武士の時代と呼ぶにふさわしい様相を呈する。鎌倉時代初めの建久4年(1193)、幕府の有力御家人で下妻地方に強大な勢力を誇った下妻荘の下司下妻広幹が執権北条氏に誅せられ、南北朝時代には南朝方の拠点であった大宝城(国指定史跡)をめぐり北朝方との戦が繰り広げられた。
 15世紀後半になると結城氏麾下の多賀谷氏が進出し下妻城<別名多賀谷城>(市指定史跡)を築城、戦国大名として自立に足る地盤を築き、その勢力圏は西は鬼怒川右岸から現在の猿島郡、東は桜川流域に及び大掾氏と接し、南は牛久沼畔、北西で結城氏領と拮抗していた。しかし、慶長7年(1602)、佐竹氏の移封に伴い秋田に移り多賀谷氏の下妻支配は終わりをつげる。
 また、鎌倉時代に浄土真宗の祖である親鸞が、妻・恵信尼の手紙により下妻の幸井郷に居たことが知られている。
 江戸時代、慶長11年(1606)に徳川頼房が十万石で下妻に入るが同14年に水戸へ移る。元和元年(1615)松平忠昌が、翌2年に松平定綱が相次いで入封、定綱は同5年(1619)掛川に移る。そして正徳2年(1712)、井上正長が就封し井上氏の下で明治維新を迎える。
 明治4年(1871)7月の廃藩置県で旧藩領はそのまま下妻・淀・峯山・龍ヶ崎・佐倉各県となり、11月には茨城・新治・印旛各県に整理された。同6年に印旛県が茨城・千葉両県に合併され、同8年に市域のすべてが茨城県となる。同22年の町村施行に伴い市域には真壁郡下妻町・大宝村・騰波ノ江村・上妻村・豊田郡総上村・豊加美村、筑波郡高道祖村が成立、昭和29年(1954)4月に大宝・騰波ノ江両村が下妻町と合併、6月に下妻町と上妻・ 総上・豊加美、高道祖各村が合併して下妻市が誕生した。
 下妻には、国指定史跡大宝城跡や国指定重要文化財大宝八幡宮本殿などの文化財が多数存在し、いにしえより政治・文化の中心であった悠久の歴史を私たちに語りかけてくれる。